マニラ→レガスピ (Philippines)

一体いつになったらマニラから脱出できるのか。
もしかしたらすでに脱しているのかもしれないが、この交通地獄は果てしなく続く。

バスジャマすぎ問題。
いやバスだけじゃないのだが、どいつもこいつも次から次へと自転車レーンを立ちふさぎ、行く手を阻む。

日本と違って、老人はいない。
若者なら自転車通勤通学でもすればバスを減らせると思うのだが、ムリなのかなー。
自転車なら交通費も維持費もタダ同然ですむし渋滞も改善されるのに。
貧困国ほどバス離れができないのはなぜなのか。

貧困国ドライバーというのは、発進する時に決して後方確認をしないので、いつも自転車とぶつかるタイミングで走り出す。
停車する時もちょうどぶつかるタイミングで行く手を沮み、発進する時もちょうどぶつかるタイミングで行く手を沮む。
何のためにミラーというものが付いているのか、考えてみたことないのかな。

逆走車も多い。
やむにやまれぬ事情があって一時的に逆走しているわけではなく、ふつーに逆走してる。
ただでさえジャマ者だらけなのに、どうして逆走車までこっちがよけてやらなきゃならんのか。

どいつもこいつも、規定のレーン内をおとなしく走っていられんのか。

日本では「他人に迷惑だけはかけるな」という教訓が行き過ぎたあまり息苦しい社会になってしまったが、フィリピンの交通は「他人に迷惑だけかけて生きろ」と教育された人たちの集まり、みたいな感じ。

まったく、どいつもこいつも自分中心で他者への配慮など微塵もない。

フィリピンは、7641の島からなる世界7位の多島海国家。
ちなみに日本の島の数は6853で世界8位。
総面積は、日本から北海道をのぞいた面積ほど。

最大の島は首都マニラがあるここルソン島で、韓国やアイスランドと同じぐらいの面積。
人口5700万人、これも韓国と同じぐらいか。


走行開始して3日目。
ようやく脱してマシになってきたか。
それでも交通量は多いし排気ガスも半端ない。
もちろんクラクションもうるせえ。

山道へ。
いい道じゃないか。

登りのしんどさは暑さ次第と言ってもいい。
木陰があるだけでどれだけ楽なことか。

標高はまったく高くないが、ちょっとした峠越え。

マレー系を始めとする多民族国家。
言語も多数におよぶが、公用語はフィリピン語(タガログ語)と英語。
タガログ語はもともと独自の文字があったが、現在はラテン文字のみ。
キリスト教93%、でも強い宗教色は感じられない。

1521年、世界一周中のマゼランが到来。
スペインの植民地となり、フェリペ二世にちなんでフィリピンと命名された。
現在もスペイン語由来の言葉が多数見られる。

全世界がスペインとポルトガルによって二分された大航海時代初期。
1529年サラゴサ条約で定められた子午線によると日本はポルトガルの支配エリアということで、ザビエルがやって来て南蛮文化がもたらされた。
フィリピンも同じくポルトガル圏だったのだが、サラゴサ条約以前にスペインが領有したという先取権により、スペイン支配が維持された。

1898年、米西戦争。
領土拡大の野望で広大な本土を獲得したアメリカは、飽き足らずスペインを打ち負かし、スペイン領であったキューバ、プエルトリコ、フィリピン、グアムまでも掌握。
フィリピンでの英語の通用度の高さはアメリカ植民地時代の影響。

1941年、日本がアメリカを駆逐してフィリピンを支配。
この時に追放されたアメリカの在フィリピン司令官が、かのダグラス・マッカーサー。
マッカーサーはこの敗戦の屈辱を、後に日本でリベンジすることになる。

コンビニの元祖セブンイレブンはもともとアメリカの企業だったが、1991年に日本が買収。
イートインもあり、エアコンの効いた店内でランチ。

1965年より国の発展に寄与したマルコス大統領は国民からの支持を得た後、独裁化。
大統領夫人イメルダの贅沢三昧などでも悪名高いマルコスファミリーであったが、反対勢力のアキノ氏暗殺、不正選挙発覚などで国民の怒りが爆発。
1986年市民革命によって政権崩壊、その後アキノ未亡人が大統領となって民主化された。

2016年に大統領に就任したドゥテルテは、人権無視という国際的非難を浴びながらも衝撃的なパワープレーで麻薬組織を撲滅し、治安を回復させたことで人気を博した。
トランプ、プーチン、エルドアンなどと並ぶ剛腕政治を象徴するひとりとして世界にインパクトを与えた。

ドゥテルテはかねてからマルコスファミリーと付き合いがあり、退任後に独裁者の息子ボンボン・マルコスを次期大統領に立て、副大統領に自分の娘サラ・ドゥテルテを立てた。
ドゥテルテ自身はすでに政界引退を公言しているが、現政権においてもそのバックで強い影響力をおよぼしていると推測される。

路肩消失、狭い道路で大型車がバンバン行き交う。
自転車レーンがある道路では自転車レーン上で妨害ばかりするくせに、自転車レーンのない道路で自転車が車道を走っているとクラクションを鳴らしてどかそうとする。
これを人間のクズと言わずして何と言おうか。

路面もボコボコでひどい。
これだったら未舗装の路肩を走った方がまだマシか。

中国におねだりしてまともな道路をつくってもらいなよ、という時代はもう終わってしまったのか。
今思えばスリランカは、交通はメチャクチャでも道路は新しく路面はきれいだったな。

マニラの宿もそうだったが、フィリピンの安宿は時間制のところが多い。
「泊まりたいんすけど」と言うと「何時間?」と聞かれたりする。
たとえば1泊12時間、15時にチェックインしたら翌朝3時にチェックアウトしなければならないなんていう宿もある、そんなバカな。

全部がそういう宿というわけではなく、ムダに広すぎずシングルベッドで単独旅行者にやさしい価格、エアコンもあるし、概ね良好。

外食はやっぱりボリュームがなさすぎるので、結局自炊。
スーパーにまともな米は売っておらず、パスタかラーメン。
時々和菓子みたいなものも売ってる。

世界的な異常インフレを思えばフィリピンはまだ安い方だが、それでも長期旅行者の感覚だと贅沢三昧できるほどの安さではない。
炭酸1.5Lが65ペソ(171円)前後。


人の気配がずーっと絶えない。
落ち着かないな。
人口1億超えはあなどれない。

でもフィリピンでは人の視線を感じないので、だいぶ気が楽。
インド界隈の人たちの、あの絶え間ない無言凝視は実にストレスだった。

街の渋滞地獄は相変わらず。



自転車も積めるのね。




排気ガスで喉が気持ち悪い。
そりゃ老人はいないわな、こんな環境で長生きなんかできるか。




戦前みたいな風景だが、大きめの街なら近代的ショッピングモールが必ずある。

この日は宿が停電。
暑くて居られないし自炊もできないので、フードコートで。

スーパーの百均的なコーナーはオールジャパン。

周辺諸国とは万遍なくつながりがあるはずだが、やはり日本製の影響力がダントツな印象。



ロードバイク乗りのおじさんに声をかけられ、ごちそうになった。

65歳、自転車に荷物を積んで旅をするのが夢だけどフィリピン人の経済力ではなかなか難しい、と。
写真や動画を撮られまくった。

排気ガスで喉がおかしい。
気持ちわりー。



Legaspi, Philippines

31381km (Total 168075km)



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