パナマシティ (Panama)
首都パナマシティ。 国家そのものが運河のために成立させられ、運河によって運命を翻弄され、運河とは切っても切れない宿命の国。 今も昔も、物流の要は海運。 太平洋と大西洋を行き来するのに、わざわざ南米のマゼラン海峡まで行ってまわりこむのはあまりに非効率。 古くからパナマに運河を建設する構想はあったが、19世紀後半になってフランスが着工。 フランスはすでにスエズ運河を開通させた実績があったが、スエズとパナマとでは難易度がまるで違った。 スエズは平坦な低地なので海面と同じ高さに運河を建設することができたのに対して、パナマは山。 海抜0mまで山を削り取る作業が始まったが、あまりに膨大な作業量、しかも雨季になると土砂崩れでせっかく掘った箇所が埋まったり洪水になったり、さらにマラリアと黄熱病の蔓延にも苦しめられ(当時は蚊が媒体であることもまだ判明していない謎の疫病だった)、数多くの犠牲者を出した。 9年かけても作業は一向に捗らずに、破綻。 フランスの後を継いで運河の建設に乗り出したのが、アメリカ。 当時パナマはコロンビアの一部で、アメリカは運河の権利を得るためにコロンビアと交渉したが、拒絶されて決裂。 アメリカは戦法を変え、当時パナマで独立運動をおこなっていた勢力を支持し、コロンビアからパナマを分離させ、1903年にパナマ独立。 独立したものの実質的な主権はアメリカが握り、運河建設の権利も獲得してすべてはアメリカの意のままに。 山を削り取る方式は却下され、浮力によって船を持ち上げる方式が採られた。 いくつかの水門で仕切りをつくり、水位を調整しながら段階的に船を上昇させて山を越える。 10年の歳月をかけ、1914年パナマ運河開通。 全長82km、太平洋と大西洋をつなぐ人類史上最大の土木工事となった。 パナマはその後も実質的にアメリカの支配下であり続けた。 1980年代に反米路線で軍事独裁政権を敷いたノリエガ大統領を排除するため、1989年アメリカはパナマに軍事侵攻した。 この影響でノリエガを支えていた国防軍も放棄され、現在もパナマは軍を持たない非武装国家となっている。 1956年、イギリス所有であったスエズ運河がエジプトによって国有化されると、パナマでも運河返還の声が高まった。 超大国の圧倒的国力にものを言わせるアメリカの覇権主義には国際社会からの非難もあって、新たな条約が締結され