ジュバイル→バーサ (Saudi Arabia)
紅海からアラビア半島を横切って、ペルシャ湾へ到達。
アラビア半島は、アフリカ大陸から引き裂かれてアジア方面へ移動中。
このプレート移動によって、ペルシャ湾やカスピ海の海底がギュッと押されて褶曲し、地下に空洞が形成される。
その地下空洞に、さらなる奥底から石油が浮上してたまり、油田となる。
1960年代には日本企業がペルシャ湾で相次いで油田を発見し、開発に貢献した歴史もあって、日本と中東諸国の関係は良好。
現在日本が輸入している原油の9割以上がここペルシャ湾から来ている。
対ロシア制裁の影響もあり、日本の原油輸入の中東への依存度は100%に近づきつつある。
ペルシャ湾で写真を撮っている時も、ミリタリーの車が止まり、車の中からなにやら大声で吠えられた。
完全無視していると、軍人がしびれを切らして降りてきて、「おまえ耳が聞こえねえのか?」みたいなジェスチャーをしてきた。
「おまえは礼儀を知らんのか?」と言ってやったが、英語通じない。
こっちからおまえらには何の用もない、用があるなら最初から車から降りてこっちまで来て静かに話せ、いちいち騒ぐんじゃない。
それに写真撮ってる時は話しかけるんじゃない。
湾岸の工業都市ジュバイルでは、アンマンのホステルで出会ったパキスタン人にお世話に。
彼、ナイームはサウジアラビアの大企業で働いており、もう20年もサウジアラビアに住んでいるそうだ。
「サウジアラビアに来たらぜひウチに泊まりに来なさい」と言われて、連絡を取っていた。
マンションが会社の寮になっていて、個室3部屋、フィリピン人の同僚もいて、僕は空いている1室を与えてもらった。
部屋、広い。
ホスピタリティあふれる人で、「いくらでも好きなだけ泊まっていきなさい」と言ってくれて、食事も三食用意してくれる。
サウジアラビアでは基本毎日走りっぱなしで、街に着いても観光っていう感じでもないし、ここではひたすら休養。
こういう街では安宿もまずないし、ゆっくり休ませてもらえるのは本当に助かる。
入国して1ヶ月が経過し、SIMの有効期限が切れた。
オンラインでチャージを試みてもなぜか決済できず、仕方なく街にあるSTCの店舗へ。
しかし、粗暴なサウジアラビア人の店員は英語がまったく通じず、どうやらここではチャージはできず別の場所に行けと言われているのはなんとなくわかったが、こちらからの質問には一切答えようともせずただ外を指さしてアラビア語でワーワーわめき、次の客の接客を始めてしまい、まるで相手にしてもらえなかった。
ああ、この感じは、、、
そう、ブラジルとまったく同じ。
ブラジルでもSIM購入に四苦八苦し、店員は英語を一切話せずポルトガル語でワーワー言いながら外を指さして「あっちへ行け」みたいな対応しかしてくれなかった。
勝手のわからぬ外国人にそんな雑な教え方で何も伝わるわけなかろう、とこのブログでも再三グチった。
ブラジル、中国、サウジアラビア。
一見何の共通性もなさそうなこれらの国は、僕の経験上だとかぶるものを感じる。
・自国言語オンリーの排他性
・IDナンバーによる管理社会
・商売っ気なしの社会主義
そして三国ともその地方では一番の大国で人口も多く、独裁または独裁に近い強い力で統率され、自己完結的で閉鎖的。
あまりのひどい対応にもうSTCには二度と行く気が失せ、ナイームに助けを求めた。
車で市街中心まで連れて行ってもらい、個人経営の小さなモバイルショップみたいなところでチャージできた。
いやー、助かった。
しかしこれは旅行者にはハードル高いぞ。
入国直後にSTCの店舗で新規購入した時はスムーズにいったのに。
オンラインでチャージできなかったのは、こちらのカード会社の方でなんらかのセキュリティ機能が作動してしまったからだろうか、これも困るな。
ナイームも、敬虔なムスリム。
家にいる時でも街を歩いている時でも、お祈りの時間になると「ちょっとここで待っててくれ」と言って最寄りのモスクまで行き、しばし戻ってこない。
僕は好き嫌いなく何でも食べる人間だが、唯一、辛いものだけは絶対的にムリ。
サウジアラビア人はそれほど辛党ではないと思うが、ここにいる多くの労働者たちはカレー文化圏出身で、レストランも辛いものばかり。
僕はカレー大好物だけど、言うまでもなく甘口限定。
これがナイームを困らせてしまい、なんとか辛くないものが食べられる店に連れて行ってもらった。
ファティーラ。
イエメン料理。
ナイームはなんだか物足りなさそうで、申し訳なかった。
こういう食文化の人は辛いものが好きというよりは、辛さは当然あるべき不可欠な刺激のようだ。
ナイームも旅行好きで、ヨルダンで僕と出会った後、エジプトまで行ったそうだ。
彼は日本にも行きたがっているのだが、パキスタン人が日本へ行くにはビザが必要、ビザ申請には旅程表、残高証明、ホテルの予約証明、出国チケット、レターなど、嫌がらせかと思うほどハードルが上げられている。
彼はこれらを用意してビザ申請したのだが、なんと認可されなかったという。
理由は不明。
ひどいものだ。
労働ビザや移民難民なら話は別だが、観光に関しては日本はもう旅行者の国籍を選べるような立場ではない。
もっとオープンになるべき。
人造湖だろうか、こんな風景もあるんだな。
次の街では、サウジアラビア人の邸宅でお世話に。
パッと見からは想像できないほど奥行きのある大きな家で、二家族かそれ以上の大人数がここで同居している。
ご主人はアメリカ留学経験もあって英語が話せる。
今まで謎だったサウジアラビアのあれこれについて質問しまくった。
「家の中も男女別になってるの?」と聞いたら、「いや皆一緒だよ」と言う。
でも僕が立ち入りを許されたのは一室だけで、家の全貌を見させてもらうこともなく、子供は例外として他の家族と会わせてもらうこともなかった。
一度奥さんがお茶を運びに来てくれたが、決して僕の前に姿を現すことはなかった。
やはり女性との接触はタブーなのだ。
3人の子供がいて、小学校に上がる前から英会話スクールに通っている。
6歳の長女は上手な英語を話し、僕が日本人だと知ると「コニチハ」と言った。
4歳の長男がそれをマネして「コニチハ、コニチハ」と大はしゃぎして、すごい懐かれた。
アラビア語しか話せない警官とは大違い、時代は変わり、ジェネレーションギャップも拡大していくのだろう。
結婚相手は、両親が見つけてくるそうだ。
婚前に会うことが許されるのは一度だけ、お互いの顔を見て、その後は電話やチャットだけが許される。
しばらくやり取りして、もし気に入らなかったらお断りすることもできる。
一夫多妻も認められているが、よほど経済力のある層のみで、そこまで一般的ではない。
ダンマームという東部最大の街がペルシャ湾岸にあるが、大都市走行はリヤドで嫌気が差したので避けて、なるべく砂漠ロードで行く。
またえらいフレンドリーな人から声をかけられた。
差し入れドッサリ。
近頃は道路下に穴が開いてないので、地上キャンプになりがち。
追い風や~
通りすがりのカメラマンがカッコ良く撮ってくれた。
また砂漠キャンプ。
塩地キャンプ。
さえぎるもの皆無、360°地平線。
道路から見られないよう、車の音も聞こえないよう、できるだけハイウェイから遠ざかりたい。
ズボズボと沈むのでそう遠くまで行けないが、でもまあいい気分。
朝。
美しい。
水がたまって塩湖になっているところもある。
小さなオアシス発見。
誰もいない。
だいぶ塩分を含んでいるのかな、澄んでるけど人体には良くなさそう。
だとするとオアシスとは言えないか。
UAEとの国境の街、というかサービスエリアまで来た。
宿があり、期待はできないが泊まりたい気持ちもあったので聞くだけ聞いてみた。
が、やはりダメだった。
ボロ宿のくせに170リヤル(6438円)というオーバープライス。
しかもレセプションの者は知恵遅れかなっていうぐらいバカな対応しかできず、態度も舐めくさっていたので、当然のごとく却下。
これなら野宿の方が100倍いい。
いつものようにモスクで身体を洗い、スーパーで食材を買い、さて寝場所を探そうか、というところでイエメン人に声をかけられた。
礼儀正しい人で、食事をごちそうしてくれた。
あまりに親切すぎる人と出会うと、どうも警戒モードが発動してしまう。
半分友好的に接しながらも、半分は用心していたのだが、結果彼は純粋にいいヤツだった。
疑ってしまってゴメンね。
イエメンも行ってみたいな。
サウジアラビア最後の夜は、廃墟。
Abu Dhabi, UAE
27584km (Total 164278km)