アルマズラー→アカバ (Jordan)
標高-350mの街。
時々ガキどもが、「マニーマニー」と言ったり、何かくれ的なジェスチャーをしながら追いかけてくる。
そこまで困窮した貧民には見えない。
外国人を見たらとりあえずからまずにいられない、動物的リアクション。
そしてかれらは複数でいる時だけ悪ノリするようにからんでくる、単独で向かっていく度胸はない。
イヌも多い。
よそ者を目撃したらスイッチが入って攻撃態勢に入るイヌのリアクションと、少年たちのリアクションはほぼ同じだ。
Google Mapsによると、街はずれの一角に宿があるということで向かってみたのだが、そこにはゲートがあり、関係者以外は立ち入れないエリアのよう。
門番が僕を止め、「ここに宿はない、立ち入りも禁止だ」と言う。
またGoogle Mapsにだまされたか。
彼は僕が日本人だと知るとニッコリと笑い、
「水はいるか? 腹減ってるか? 中へ入りな」
と入れてくれた。
なんとここでフリーディナー。
「これあなたの食事なんじゃないの?」と聞いたが、「気にするな、いいから食え」と。
彼は宿の場所を教えてくれた。
長く厳しい砂漠の道、トラックドライバー用の安宿があったりしてもいいはずなのだが、街中に宿はない。
教わった宿は、街からはずれた畑の中、辺鄙なところ。
なんとなく嫌な予感はあったが、プール付きの高級ホテルだった。
50ディナール(10534円)。
バカじゃねえの、誰が泊まるんだよこんなとこ。
一応交渉してみたが、まったく話にならず。
今日はもうこれ以上は移動できない、たまたま近くにあった廃墟へと逃げ込んだ。
まもなく日没。
蝿の猛襲から蚊の猛襲へと切り替わる。
暑い。
無風。
喉が乾く。
汗でベトベト。
最悪の環境だが、どうしようもない。
時々、人が通る気配。
バレないよう、息をひそめる。
しかし、バレた。
若い男二人が僕に気づいたようで、ライトを照らしながら廃墟に入ってきた。
当然警戒した様子だったので、正直に事情を説明。
かれらはパキスタン労働者で、この付近のバナナ畑で働いているそうだ。
しばらくなんやかんやと話し合った後、別のパキスタン人がやって来て、
「ウチへ来い!」
と招いてくれた。
扇風機!
チャイ!
こんな美味しいチャイは初めて。
ミントの効いたパキスタンチャイ。
喉が乾きまくっていたので、何杯もおかわり。
畑で採れたバナナ。
25人のパキスタン人がここで暮らしているという。
子供もいるし、ヨルダンで生まれ育ちながらパキスタン人のコミュニティが形成されている。
アンマンの宿でも、数人のパキスタン人と出会った。
イスラム教であること、英語の通用度が高いこと、などからもパキスタン人にとって働きやすい環境なのだろう。
しかし全員男って、、、
女性もどこかにいるはずだと思うのだが、僕の前に姿を現すことはなかった。
パキスタン人のこういうストレートな親切心はよくおぼえている。
国や民族を越えた、イスラムというつながりが世界にはたしかにあり、イスラム特有のこの感触を僕は知っている。
突然現れた得体の知れない旅人を躊躇なく迎え入れてくれる、このホスピタリティを幾度となく享受してきた。
誰もが僕を客人として丁重に接してくれて、ここは安全だから所持品の心配もしなくていい、安心して休んでくれ、と言ってくれた。
朝食もいただいた。
山から流れてくるわずかな川の水はホースで分配され、農業が営まれている。
街や店もまったくないわけではない。
時々店が現れると、とにかく水分優先で大量のドリンクを買い込む。
海抜0mまで上昇。
多少は空気がフレッシュになった感もあるが、それでも11月とは思えない暑さ。
時々現れる貴重な日陰。
キャンプするなら橋の下。
川がないというのを除けば、キャンプ地としては文句ない条件。
砂漠は放射冷却で夜になると冷え込む、とよく言うが、夜も全然暑いよ。
でも星がきれいだった。
流れ星も見た。
過酷な砂漠道だが、概ねフラット、しかも追い風。
こんなところでからんでくる悪ガキはいないし、イヌもいない。
無心。
クラクションを鳴らすな、死ねバカ。
アカバに到着。
Aqaba, Jordan