プエルトイグアス→サントトメ (Argentina)

ペロシの台湾訪問の影響か、ドルが下落して日本円と同様ペソも上昇。
ついこないだUS$1=318だった闇ペソが、現在288ペソ。
多めに両替しておいて良かった、いやもっと両替しておくべきだったか。
と思うのも後の祭りで、こういうのはいつも結果論。
今後どうなるのかは誰にもわからないが、とりあえず最安だった時期に得たペソで当面はやりくりできる。
以後このブログでは、価格は両替した時点での闇レート換算のみで表示する。

ブラジル~パラグアイの果てしないファームが終わり、風景が変わってきた。

このあたりは、先住民グアラニーの集落が多く見られる。
黒髪に褐色の肌、いかにも南米先住民といった顔立ち。
手作り感ある掘っ立て小屋が点在し、路上でなにやら植物を売っている。
子供がたくさんあちこちにいて、高齢者はあまり見ない。
世界一年老いた国からやってきた者から見ると、たとえ貧しくともこの子供の多さには明るい未来を感じてしまう。

せっかくきれいな道なのに、このバンプは何?

パラグアイでは1本バンプがあったが、ここは3本バンプ。
車道ならともかく路肩にこんな危険なトラップを仕掛けて、いったい誰が得をするのか?

とうとう路肩未舗装になってしまった。

大型車も行き交っているというのに、ここで手を抜くなよ。
道幅を狭くすると、クラクションを鳴らすゴミが湧いてくるぞ。

ノーベル賞経済学者サイモン・クズネッツが「世界には4種類の国がある。先進国と途上国、アルゼンチン、そして日本だ。」と言ったように、アルゼンチンは経済学史上まれに見る特異な道を歩んできた。

19世紀後半から20世紀前半にかけてアルゼンチンは世界有数の農業大国として発展し、1人あたりGDPは世界トップ10に入るほど、豊かな経済大国であった。
しかしその後、政府による度重なる失策で借金に借金を重ね、手のつけようがないほど外債が膨れ上がり、破綻国家として凋落した。
天文学的なハイパーインフレも経験し、起こしたデフォルトは実に9回におよぶ。
9回目のデフォルトは、パンデミックによる世界的な不況が直撃した2020年。
負のスパイラルからの脱却の糸口もつかめぬまま、世界的な混迷の中で現在もアルゼンチンの経済は最悪の状況にある。

「母をたずねて三千里」の物語は、イタリアからアルゼンチンに出稼ぎに行った母親が消息を絶ったので探しに行く、という設定。
現代の感覚だと、まったくピンとこない。
ブラジルの宿ではアルゼンチン人労働者と会うことが多かったが、先日泊まったアルゼンチンの宿には労働者はいなかった。
紙クズ並みの現代のペソを稼ぎにわざわざ外国からやってくる人などいないだろう。

ただ、サイモン・クズネッツの言葉はあくまで20世紀の構図。
21世紀には先進国と途上国の境界が崩れて、日本も結局アルゼンチンと同じ運命をたどるのか、いやそうはなってほしくないものだ。

久々のWARMSHOWERS泊。

情報だけ得て知った気になっていると、世界を一面的にしか見れなくなる。
世界はそう単純ではない。
没落国家アルゼンチンのイメージに反して、裕福な家庭もそれなりに多くある。
経済大国日本でも、こんな家に住めないでしょう。


ホストはサイクリストではないが、こんな時代にも気兼ねなく旅人を受け入れてくれるホスピタリティの持ち主。

ご主人はイタリア系で、奥さんはドイツ系。
言語はもちろんスペイン語。

アルゼンチンは移民大国。
大半のラテンアメリカがスペイン人(ブラジルはポルトガル人)と先住民の混血文化を形成しているのに対して、アルゼンチンは圧倒的にヨーロッパの血が濃い。
その出自はスペイン人のみならずイタリア人やドイツ人など、かつて豊かだった頃にヨーロッパから大挙してやって来た移民の血筋を引いている。
先住民の血も多少は混じっているようだが、アルゼンチンの基盤となってるのは民族的にも文化的にもほぼヨーロッパだと言っていい。

パラグアイのソウルフードでもあるチパ。

生地はマンジョーカで、中にチーズが練り込まれている。
熱いうちに食べると絶品。
ルーツはグアラニーの食文化。

お世話になっておいて文句は言えないのだが、何よりも困ったのはディナーの時間があまりにも遅いこと。
僕はいつも夕飯は17時、ちょっとフライングして16時ぐらいからつくり始めることも多い。
この日のディナーは、なんと21時半。
シエスタ文化ではこれがふつうだそうだが、もう腹ペコでしんどい。

相変わらず果てしないアップダウン。

常に登っているか下っているかのどちらか。
たまにはふつうにこいでみたいものだ。

バンプが2本線になった。

30mおきにこのバンプが行く手を阻む。

街に到着し、最初に現れた宿に入ってみた。
シングルルームで1泊なんと1400ペソ(600円)。

今旅行すべき国ナンバーワンはアルゼンチンかもしれない。

致命的なミスを犯してしまった。
この日は日曜日。
ブラジルとパラグアイでも日曜日は多くの店が閉まっていたが、スーパーは営業していた。
しかし、働かない国ここアルゼンチンでは、スーパーも全滅。
前日に食料を買いだめしておくべきだった。

せっかく早い時間に街に着いても、店が閉まってるので何もできやしない。
でもなぜかアイスクリーム屋さんだけは、日曜日でもシエスタ中でも営業している。
トリプル盛りで350ペソ(150円)。

2006~7年にアルゼンチンを旅した時は、接客業も粗暴で不親切で、愛想のかけらもなかった。
1000ペソ紙幣で払おうとするといつも決まって「お釣りない」とぶっきらぼうに言われ、それ以上とりつくしまもないということが多かった。
今は、「もっと細かいの持ってないかしら?」と丁寧に聞いてくれて、「グラシアス」とお礼を言ってくれたりもして、気持ちがいい。
変わるもんだな。
お釣りがないのは今も昔も変わらないようだが。

夜。
食料を持ってないしスーパーは閉まってるので、レストランで食べるしかない。
だいたい19時から店が開くようなので街を歩いてみたのだが、1軒たりとも開いてない。
マップを見ながらこの店は開いてるはず、と行ってみても閉まってたり、あるいはつぶれてたりする。
まともに食事できる店が、文字通り1軒もない。
何なんだこの国のヤツらは、メシを食わずに生きているのか。

失意の中を歩き続け、やっと1軒のパン屋さんが開いてるのを発見。
こちらの感覚だと、こんな時間にパン屋が開いてるというのも奇妙だ。
食えりゃ何でもいい、パンを大量に買い込んでこの日の晩飯とした。

何だよこの苦行、イスラムのラマダンの方がよっぽどマシじゃないか。

アルゼンチンの経済悪化の原因は、いくつもの要因が複雑にからみ合っていて専門家でも見解が分かれることがあるらしい。
僕としては、経済をまともにしたいのならまず店を開けて客を入れるところから始めろや、と思う。

翌朝。
荷物をまとめて出発しようとしたら、不意に背後から「日本人ですか?」と。
突然の日本語にびっくりしたが、この宿のオーナーさんがなんと日本人だった。

「何か食べますか?」とその場で朝食をつくってくれた。

ご主人はアルゼンチン人、奥さんは日本人。
生まれも育ちもアルゼンチンだが、ご両親が日本人なので自然な日本語を話す。
奥さんも、こんなご時世にこの街に日本人の旅人が現れたことに興味を持ってくれて、一緒に食べながら小一時間しゃべってしまった。

La vida es como andar en bicicleta.
Para estar en equilibrio, debes mantenerte en movimiento.

人生は自転車をこぐようなものだ。
バランスをとるためには進み続けなければならない。

バンプが1本、50mおきになった。

依然として、何のためにあるのかは謎。
だいぶマシにはなってきたが、ちょっとよそ見しただけでこいつをガツンと食らう。

ようやくアップダウンが緩やかになってきた。

グアラニーの村。


やっと心おきなく走れるかなと思っていた矢先、またも路肩消失。

道幅が狭くなった途端に交通量が増えたように感じる。
そしてやっぱり出てきた、クラクションを鳴らすクズが。

2006~7年にアルゼンチンを旅した時は、ドライブマナーはイヌレベルで、獰猛な運転で轢かれそうになったり、クラクションは鳴らしっぱなしだった。
それに比べたら、現在は飛躍的にお行儀良くなった。
それでも、ブラジルやパラグアイに比べるとクラクションが鳴ることが多い。
クラクションを鳴らしたところでおまえの思い通りにはならないんだよ、ということが学習できない、原始時代の名残りがまだ見られる。

今回の旅で初めて、サイクリストに遭遇。

アメリカ人のポール。
チリから出発してウルグアイへ向かっている。
彼も今回初めてサイクリストに出会ったということでエキサイトしていた。

街まで一緒に走り、部屋をシェアすることにした。
1泊3500ペソ(1501円)。

なんとメゾネット。

僕は2階の部屋。

1階の部屋はベッド3つ、2階の部屋はベッド4つ、計7人が泊まれるようになっている。
キッチン、冷蔵庫付き。
ポールと割り勘したので、750円でここに泊まれる。

翌日。
ポールは国境を越えてブラジル経由でウルグアイへ向かうそうで、お別れ。
久々のアメリカ人、やっぱテンション高かったなー。

アルゼンチンの道は、当分は路肩未舗装が続くっぽい。
この先はフラットになるようだが、走行中は緊張しっぱなしで気が休まらん。
こういう経済弱小国には、中国さんにきれいな舗装道路をつくってほしいものだ。

グアラニーの宗教かな。


道端グリル屋さん。

レストランに入るのは躊躇しがちな僕だが、こういう路上商売には強く惹かれてしまう。

すごい肉塊。

肉をカットして、サラダをかけて、パンではさむ。

ボリュームたっぷりで500ペソ(214円)。

うまーーーーーい!!!!!

絶妙な弾力、程良い焼き加減、ほとばしる肉汁。
アルゼンチンの肉をあなどってた、ごめんなさい!
これなら毎日でも食べたいぐらいだ。


Santo Tomé, Argentina

4373km (Total 141067km)



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