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東京→石廊崎

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 多摩川。 ゴチャゴチャした狭苦しいエリアを脱して、海へ。 江の島。 サーフボードラックをマウントした自転車をあちこちで見かける。 湘南の地元サーファーは自転車移動なんだな。 伊豆へ。 20代前半、3日かけて伊豆半島を一周した。 ありあまるエネルギーをぶちまけるには、自転車で爆走するのが一番。 アナログ時代のため記録は残っておらず、細かいことはもうわからない。 持ち物は、地図と飲み物だけ。 夜、そこらに寝転がってみたら思いのほか寒くて、電話ボックスの中で寝てみたり、ファミレスで寝てみたり。 それでも疲れ知らず、みなぎるパワーに酔いしれた。 当時の自分が今の自分を見たら、「文明の利器にかぶれやがって」と何の興味も示さないような気がする。 熱海。 ゴチャゴチャしてるな。 やっぱ人口多いな。 特に有名なわけでもない街でもギッシリ。 そういえば、ゴミ問題。 本州に来てからは、基本的にゴミはコンビニで捨てられるし、外にゴミ箱を置いているコンビニもある、道の駅でもゴミ箱を置いているところが多い。 もちろん気軽に捨てられるわけではないが、北海道に比べたらそこまで不便は感じない。 全国的な流れなのかと思っていたが、北海道が特別シビアなのか。 地形の険しい伊豆。 海沿いでもフラットはあまりなく、アップダウンが続く。 トンネル多し。 自転車が安全に通行できるスペースさえあれば問題ないのだけど。 トンネル内でも、自転車レーンの青いマークは続いている。 交通量多し。 やっぱ北海道とは違うな。 都市部でもないのに、絶え間なく車が来る。 下田。 19世紀、石炭と並ぶ資源は鯨油であった。 クジラを追いかけて太平洋に進出したアメリカは、捕鯨の拠点として日本に開国を迫り、下田と函館を開港させた。 当時のアメリカにとって捕鯨の拠点でしかなかった日本だが、日本にしてみれば200年も続いた鎖国を終焉させられるほど、圧倒的な国力の差を見せつけられた。 強烈な外圧によって混乱がもたらされ、ナショナリズムが覚醒し、富国強兵、近代化、そして大日本帝国へとメタモルフォーゼしていった。 日本の歴史のターニングポイントとして、ペリー来航の衝撃ははかり知れない。 元来が閉鎖的で内輪で平穏に暮らしていたい性分なのに外圧に屈して渋々門戸を開けている、という意味では現代の日本も同じだが、もう覚醒するような兆しはないよう...

東京

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東京。 昨年の帰国直後、甥に授けたストラト。 レイ・ヴォーン・ネックを引退させて、新調。 ストラトのスーパースペシャリストである友人が、プロ顔負けのリペアスキルでブラッシュアップしてくれた。 思えば彼と出会ったのも、今の甥と同じ歳の頃、以来30年もギターでつながっている親友。 そもそも彼がこのストラトの元所有者で、20年以上前に僕が譲り受けた。 そして今、それを次の世代へと手渡す。 感慨深さとワクワク感で一杯である。 練習用のストラトまでプレゼントしてくれた。 水色ボディの左下にある黄ばみは、僕の体温による変色。 左の練習用は、ジャンクなパーツを寄せ集めて組んだもの。 値打ちとしては右のメインギターとは雲泥の差だが、両者ともまったく同じ弾き心地になるようセットアップしてくれた、神業。 ギターのフレットは消耗品、練習用は存分に弾き倒してしまっていい。 水色のメインギターは本番用に温存。 教わったことはすぐさま吸収して、この場で目に見えて上達していく。 若さだな。 無職のおじさん二人に見送られて、大学生の甥はバイトへと出かけていった。 話変わって。 仕事仲間たちと久々の再会。 ホルダーと腰袋をつくってもらった。 2.5Lの大型ホルダー。 仕事道具なので同業者にしか伝わらない話だが、しばし離れている間に進化多様化を遂げており、デザインも機能も細部まで自分好みに注文できる。 個人によるハンドメイドで、量産されるものではない。 この業界でトップクラスのスーパースペシャリストとつながっていたというのも、恵まれていたな。 見事。 そしてもうひとりの仕事仲間、サングラスのスーパースペシャリストでもある。 旅で酷使してボロボロになったサングラスを、レンズ交換してキレイにしてもらった。 3人で晩餐。 人生でこんなにおいしいとんかつは食べたことない、ってぐらい良い店。 スイーツ屋さんでも、ごちそうになった。 東京にいる間に、仕事道具を一式そろえた。 大半は以前から持っていた物だが、なんだかんだで今回新たに買った物だけで軽く10万円は超えた。 これで、全国各地いつでもどこでも仕事できる、うまくできるといいな。 実家にて、母のつくるメシ。 浅地家のチーズハンバーグ。 神奈川県横浜市 2494km