ブエノスアイレス→ロサリオ (Argentina)

いったん西へ向かう。
アルゼンチンの首都、ウルグアイの首都、チリの首都は同じぐらいの緯度にあり、これより南には大都市と呼べる規模の街はもう現れない。

ブエノスアイレスはさすがに規模がデカく、都市圏を抜けるまでしばらく走らなければならない。
80kmほど走って、いったんストップ。
宿は個室で2500ペソ(1080円)。
これでこそアルゼンチンや。
翌日が雨予報だったので2泊。

朝食付き。
わざわざ部屋まで持ってきてくれる。

安い宿ほどサービスが良い。

予報は思いっ切りはずれて晴天。
どのみちのんびりしたかったので、まあいいか。
ブエノスアイレスで高い金を払ってドミトリーで気を遣うよりは、こういうなんでもない街で気を休めたい。

今回の旅で初めて、床屋に行った。
700ペソ(302円)。
大ざっぱで超適当、ザクザクな仕上がりとなった。

ブエノスアイレス中心地から100km以上、ようやく人気が少なくなり、またしてもファームに突入。

路肩のないあの恐怖の幹線道路を避けるべく、多少方向がずれても幅広のハイウェイで行く。
3本バンプは健在。

一気に髪を短くしたので、今まで髪で隠れていたところが急激に日焼けしてヒリヒリする。

追い風フラット。
ひたすら単調。
時折現れる道端パリージャが楽しみ。


アルゼンチン第3の都市ロサリオ。




ロサリオはチェ・ゲバラの出身地であり、生家が残っている。


売り出し中。

「革命家」というアブノーマルな肩書きを持つチェ・ゲバラ。
キューバ革命のイメージがあまりに強いが、他にもグアテマラ、コンゴ、ボリビアなどで革命部隊に加わった。

また旅人でもある。
学生時代にオートバイで南米を放浪した時に、資本主義が本質的に孕む搾取から生じる格差を目の当たりにしたことが革命家となるきっかけとなった。
大学卒業後に再び旅をして、メキシコでフィデル・カストロと出会う。
キューバ革命後も世界各地を歴訪し、来日もしている。

アメリカを敵にまわした後にソ連に媚びたカストロとは違い、ゲバラは反米でもあり反ソでもあった。
彼は一本筋の通った理念を持ち、ある意味ピュアな理想家であった。

キューバでは革命を成就したが、他はうまくいかなかった。
現地の部隊は、よそ者であるゲバラを快く迎え入れるとは限らないし、士気を合わせるのも容易ではないだろう。
ボリビアで政府軍に捕えられて銃殺されたのが1967年、享年39歳。
その後ソ連が崩壊し社会主義が退廃する時代も生き続けていたらどうなっていたかはわからない。
彼が拠り所としたイデオロギーはすでに廃れたとしても、反体制の象徴的存在としてチェ・ゲバラは今なお根強く信棒者を集めている。

日曜日。
どうも、大きな街に到着するのはいつも決まって日曜日。
平日だとしてもシエスタだったりで、繁華街はいつも死んでる。


パラナ川。


平日と日曜日の違いが極端だ。
繁華街が死んでいる代わりに、公園や広場に人が集まり、日曜市が開かれたりする。

僕は日本ではずっと曜日にとらわれない仕事をしていたせいか、こういう曜日感覚といったものが欠落していてピンとこない。







この公園にはゲバラの銅像がある。

この銅像の撤去を求めて、右派から多くの署名が集まったそうだ。
ゲバラは共産主義者であり、各地でゲリラ戦を繰り広げた犯罪者である。
革命を成すには武力闘争以外にないというのが彼の信条で、たしかに無血革命なんてきれいなものは現実にはあり得ないかもしれない。
こういった人物がカリスマ性をまとって英雄視されるのは好まれない、賛否両論になるのは当然だろう。
そもそも銅像なんて建てて一体何になるのかわからないが、僕もこんな写真を撮ってしまっている時点でその術中にあるということか。

Kymani Hostel。

予約サイト上では唯一の安宿。
ドミトリー1泊2000ペソ(864)円。
朝食付き(食パンのみ)。
雰囲気は悪くないが、キッチンにコンロがなくて調理ができず、バスルームが1つしか使えない、など便宜は良くない。
客はほぼ自国労働者で、客同士の会話はほぼない。


Armstrong, Argentina

5891km (Total 142585km)



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