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エレバン(Armenia)

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空港から首都中心部へ向かう道、アララト山が見えた。  アララト山(5137m)。 2012年にトルコ側からアララト山を見ながら旅した。 今回はアルメニア側から。 大洪水の時、この山腹にノアの方舟が漂着したと伝承されている。 古来よりアララト山の山麓にはアルメニア人が住んでいたが、オスマン帝国によって強制移住させられ、現在はトルコ領。 両国の国境は閉ざされており、行き来することはできない。 トルコ側からは、そびえ立つ5000m級の独立峰を間近に感じることができたが、ここはだいぶ離れている。 今なお、アルメニア人にとってアララト山は民族のアイデンティティの象徴となっている。 2020年、35年間にわたったアゼルバイジャンとの領土紛争に大敗。 ここもまた国境が閉ざされている。 旧ソ連のキリスト教国家だが、ロシアも助けてはくれなかった。 アルメニアは深い喪失感の中、敵国との和平、多方向に関係強化を深めながら、生き抜く活路を見いだそうとしている。 アルメニアの歴史は古い。 紀元前よりアルメニア人による王国が成立していた。 世界最古のキリスト教国家。 301年、ローマ帝国よりも早くキリスト教を国教とした。 ローマ、ビザンツ、ペルシャ、オスマン、ロシアなどの大国のはざまで、アルメニア人は固有の民族として文化を守ってきた。 20世紀はソ連に組み込まれ、1991年独立。 現在は、西にトルコ、南にイラン、東にアゼルバイジャン、と三方をイスラムに囲まれている。 アルメニア文字。 5世紀、聖書をアルメニア語で読むために考案された文字。 ギリシャ文字やシリア文字との類似性があるようだが、それらがルーツというわけではない、独立性の高い文字。 アルメニア人にとって文字は単なる言語の道具ではなく、重要なアイデンティティのひとつ。 国家を滅ぼされ領土を奪われても、アルメニア人がアルメニア人であるために維持してきた文字。 ソ連時代の共産主義的な街並みの名残りはある。 商業活動はさかんではなく、スーパーや店は少なく規模も小さい。 まともなアウトドアショップもなさそうで、あっても宿から遠すぎて、ガスの購入は断念。 スーパーでUFO発見! 3つほどカゴに入れてレジに行こうとして、よく見たらお値段3150ドラム(1347円)で断念。 桁が1つ違う。 誰が買うんだ? 円安なら日本の食品は値下がりするもの...

チュニス(Tunisia)→エレバン(Armenia) フライト

チュニス 滞在していた宿から空港まで8kmほど。 空港の建物に入るところで、全荷物を機械に通す。 情勢が安定してない国の空港ではよくある。 並んで順番に進んでいくのだが、後ろのヤツがカートを押し当ててくる、あわよくば割り込もうとしてくる。 これも、民度が成熟してない国ではよくある。 蹴り返してやる。 空港内は大混雑。 利用者数と空港のサイズが見合っていない。 椅子に座れるのは一握りの人だけ。 まったく落ち着けない。 ラッピングサービス、20ディナール(1074円)。 現金のみ。 余ったディナールを両替しようとしたら、どういうわけかできなかった。 両替屋なのになんで両替できないんだよ? 理由を聞いても何を言ってるのかわからない。 電光掲示板は、アラビア語とフランス語のみ。 英語表記ないんか。 早めにチェックインカウンターに行ってみたのだが、すでにすごい長蛇の列。 また一家の大移動みたいな人たち。 すごい大荷物、僕の荷物が小さく見えてくる。 これが移民輸出国の空港か。 さすがにTurkish Airlines、かなりの大型機と思われるが、こんなにも大量の荷物を積めるものなのか。 なかなか進まない。 これは長丁場になりそうだ。 そしてまた、後ろのヤツがカートを押し当ててくる。 何度でも蹴り返してやる。 1時間以上も並んで、ようやくカウンターに。 しかし、自転車は別のカウンターで別料金を払えという。 せっかく並んでたのに、離れてまたやり直すんかい。 支払いカウンターに行くと、なんと480ディナール(25738円)。 いやボッタクリすぎだろ。 せっかく折りたたんでコンパクトにして、サイズも重量も規定内におさめているのに、自転車というだけでこんなにとるのか。 他の民族の大移動みたいなヤツらの荷物の方が大きくて重そうに見えたけどな。 そしてこんな高額を払っても、どうせ乱雑に扱って、破損しても責任取る気などさらさらないんだろ。 カウンターに戻ると、また横柄で不親切な対応をされる。 英語も通じにくい。 日本の空港職員の対応がレベル10だとすると、チュニジア人の対応はレベル1にも満たない、ゴミみたいな仕事ぶり。 気づくと、もう搭乗の時間。 余裕を持って早めに来ていたのに。 パスポートコントロールに行くと、また信じられないぐらいの長蛇の列で愕然。 これ、搭乗に間に合わないんじゃないの? ...

チュニス(Tunisia)

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首都チュニス。 灼熱の地中海性気候。 モロッコ-スペイン間ほど近距離ではないものの、イタリアのシチリア島からチュニジアまで140kmほどで、ヨーロッパの御近所。 アフリカ上陸、という実感はあまりない。 モロッコと並んで、チュニジアは北アフリカでは気軽に旅行できる国。 隣国のアルジェリアとリビアを旅行するのは困難なため、ある意味ここは陸の孤島。 陸路で北アフリカ横断はできず、チュニジアだけを旅して去るしかない。 アルジェリアはワンチャン旅できるのかな、だとしても冬季限定だな。 チュニジアの全盛期は、紀元前6〜3世紀頃。 海洋民族フェニキア人が現在のチュニスにカルタゴを建国し、西地中海の海上貿易を支配する覇権国となった。 紀元前3世紀頃にローマが台頭し、カルタゴと対立。 三度にわたるポエニ戦争でカルタゴ敗北、ローマに覇権を譲ることとなった。 結果としては敗北して滅びたものの、奇才ハンニバルによるローマ襲撃など、世界史のストーリーとしては盛り上がりを魅せるところ。 まさかイベリア半島からの大迂回ルートでアルプス側からローマを奇襲するとは、アレクサンドロス大王のインド遠征に負けないぐらいのインパクトだ。 現代の整備されたインフラでやったとしても過酷そう、しかもゾウに乗っていけるもんかね。 その後はローマの属州となり、現在もローマの遺跡が数多く残っている。 近代はオスマン帝国の支配下。 19世紀末からフランスの植民地。 独立は1956年。 植民支配から独立を主導した英雄が後に独裁化、というのはお約束のパターン。 初代大統領を追放して新たな改革を起こした二代目大統領も、最初は国民の支持を得たが間もなく独裁化。 2010年。 腐敗政治、汚職、高い失業率を背景に、露天商の若者が警察による商品没収や賄賂要求に抗議すべく、ガソリンをかぶって焼身自殺。 これを撮影した衝撃的な画像がSNSで拡散され、大規模な抗議運動へと発展。 翌2011年。 23年間政権の座に就いていた大統領は国外へ追放。 この革命が「アラブの春」となってエジプト、リビア、イエメン、シリア、へと波及。 チュニジアを象徴する花にちなんで「ジャスミン革命」とも呼ばれた。 2024年シリアのアサド政権崩壊で、一応の終着を見せたアラブの春。 しかし独裁者を倒したからといって、民主化、平和になるほど現実は単純ではない。 悪しき独裁...