マスカット→ドゥクム (Oman)

再び山。
まずはあれを越える。

振り返ってマスカットを一望、といってもやはり首都っぽくない。

すでにホルムズ海峡を越え、向こうに見える海はペルシャ湾ではなくオマーン湾。

一山越えた先の眺望。


オマーンの国土は日本の0.8倍。

17世紀の大航海時代、アラビア半島沿岸を支配していたポルトガルを追放し、オマーン海洋帝国として隆盛。
貿易の拠点として重視され、その後覇権国となったイギリスと対等に交易するほど力をつけた。
最盛期の19世紀には、北は現在のイランから南は現在のモザンビークまでアフリカ東海岸を制する強大な帝国であった。

2011年にタンザニアのザンジバル島に行った時、かつて最盛期オマーンの都だったと知ってとても意外だったのを記憶している。
現在もザンジバルは、東アフリカの中では特にイスラムテイストが際立つ文化圏となっている。

その後まもなく衰退。
19世紀末にイギリスの保護領となり、1971年独立。

サウジアラビアやUAEとはやはり少し勝手が違い、サービスエリアは画一的ではなくただのGSだったりすることも多い。
たまにアタリのサービスエリアがあり、比較的まともな店で食料補給。

ここはキャンプ用品店も併設されている。

今回のアラビア半島走行開始時、アンマンでガスをある程度ストックしており、買い足すことなくもちそうだ。
足りなくなったとしても、サウジアラビアやオマーンのこういった店でガスは容易に入手できる。
OD缶もCB缶も両方売っている。

モスクもあり。

また身を浄める水場で、行水&洗濯。

久々の道路下。
やっぱりキャンプするならここが一番快適。







海洋帝国の名残り漂う港街。

オマーン湾を抜け、インド洋の一部であるアラビア海へ。


向かい風。
ざっとマクロで風予報を確認すると、海上は主に北東風の追い風。
これは勝ったと思っていたのだが、ミクロでよくよく沿岸部を確認すると陸地は逆に南西風の向かい風。
それほど強風ではないが、ペースはガタ落ち。

ビーチに東屋が多数。
水道あり、トイレあり、ゴミ箱あり。
フリーキャンプ。

夜は街灯がついてヘッドランプもいらない。
地元民に見られても特に何も言われず、放っといてくれる。
ありがたい。

マスカット以降、街では女性はまったくと言っていいほど見かけない。
全員男。

外国人は、バングラデシュ人が多めの印象。
インド(14.2億人)とパキスタン(2.4億人)という大国の陰でかすんでいるかもしれないが、バングラデシュも小国ながらロシアよりも多い1.6億人の人口バケモノ国。

アラブ人はやはり英語が苦手そうだが、英語がまったく通じないということはない。

カード払い不可の店もあり、やはりある程度の現金は必要。

ピンクレイク。







砂漠道には、避難小屋のようなモスクが点在している。
ウォータータンクあり、トイレあり。
あまりに好条件、ここで寝てしまう。
誰かがお祈りにやって来たら居づらいなとは思っていたが、誰も来ず、一晩ひとりでこの場ですごせた。

翌朝は濃霧。
テントもシュラフもびしょ濡れ。

晴れ上がり。


立派なシェルターモスクが多数点在。

タンクの残量は不明、洗っている最中に水が尽きる可能性もあるが、そこは運にまかせるしかない。

礼拝室にはペットボトルまで備蓄されている。

オマーンも、周辺諸国ほどではないが海水淡水化に依存している。
人口増加と都市化にともなって海水淡水化の需要も増大しており、その技術的輸出国が日本だったりする。

車が止まり、おやつセットをいただいた。

声をかけてきたのは、助手席に座っていたオマーン人女性。
オマーン人女性と会話するのは初めて。
英語でフレンドリーに話してくれたが、撮影はNG(彼女は僕を撮ってたけど)。
奥さん車から降りて、旦那さんとお子さんだけ撮らせてもらった。


南下するにつれて気温上昇。
軽く30℃を超える。
今はベストシーズンの真冬だが、2~3ヶ月もずれたらサイクリング不能かもしれない、きわめて厳しい気候。


小さな街、というか集落みたいなところのモスクで。
ここは、ちょいちょい人がやって来てお祈りする。
もちろんモスクはお祈りする場所なのだが、ここで僕が行水したりキャンプすることを咎める人はいない。
それどころか「写真撮らせてくれ」と撮影会になったりする。
またイスラムの懐の深さに大変助けられる。
ただ、寝る態勢に入った後もしばらく人の気配が絶えず、とても落ち着かない一夜となった。
やはりキャンプするなら人気のない場所に限る。

翌朝、また濃霧。
テントもシュラフもびしょ濡れ。

路肩消失。
電波消失。



車が止まり、コーヒーと軽食をいただいた。

水もどっさり。


日陰なし。




オマーンでは、やっかいな警官にからまれることはないので安心。
あとは、クラクションさえ鳴らなければ。

アラビア半島の人たちは車から降りたことがないので、クラクションというものが生身の人間をどれだけ傷つけるか、その卑劣さ残忍さ有害さを知らぬままのうのうと生き続け、罪悪感すらないのだ。

サービスエリアのモスクで水浴びした後、人気のある場所から離れて砂漠キャンプ。
この木がイカついトゲを持っており、パンクしてしまった。

クラクションクラクションクラクション。
クラクションクラクションクラクション。
クラクションクラクションクラクション。

・・・地獄。

全世界の全自動車メーカーがクラクションを全撤廃すればいいだけの話、クラクションの付いた旧式の車両は強制廃車にすればいいだけの話。
そうすれば、この世のすべての問題は一気に解決される。
いつまでこの野蛮な兵器を製造し続けるつもりなのか。
こんなにも醜いものはこの世に他にない。
早く滅びろ。


Duqm, Oman

29016km (Total 165710km)



このブログの人気の投稿

旅再開

札幌生活