ドバイ (UAE)
とても連泊する気になれず、別の宿へ移動。
移動するにも、またハイウェイが立ちふさがる。
自転車はパッキングしたまま、Uberを呼ぶことにした。
車のサイズも選べるので、やや大きめの車ですんなり積めた。
移動先の宿も、そんな大差ない。
自転車はパッキングしたまま持ち込み、ラウンジの適当なスペースに強引に置いた。
バッグは棚に入れさせてもらい、まともにベッドで寝ることができた。
しかし何だろな、この居心地の悪さは。
街は、ほぼ欧米。
アメリカかヨーロッパかどこかのリゾート都市、と言われても違和感ない。
はるばる中東アラブまでやって来て、欧米テイストをゴリ押されてもね。
そこらを歩いているのは、だいたい白い人。
東洋人もちらほらいるし、あとはいつも通り南アジア系労働者たち。
生粋のアラブ人らしき人は見かけない。
老人もいない。
高齢者(65歳以上)はわずか1.83%、世界215位。
人口の87%を占める外国人は原則としてUAEの国籍取得はできず、いずれは帰国しなければならない。
老いた外国人は追い出され、若い労働者が取り入れられる循環が確立されており、生産年齢(15~64歳)人口は82.9%で世界1位。
生粋のUAE人は、この国に生まれた時点で勝ち組。
国からの手厚い保護を受け、スーパーイージーモードで生きていける。
文化を犠牲にして欧米カラーに染まろうがかまわない、すべてが「国の生き残り」にチューニングされている。
クウェート、バーレーン、カタールなども似たりよったりの国家構造。
ちなみに日本の高齢者は29.9%、世界2位。
1位はモナコだが、人口わずか3万人。
このミニ国家を無視すれば、日本はダントツで世界一の高齢化社会。
日本の生産年齢人口は59.4%、世界174位。
ビジネスにしても旅行にしても、ここにいるのは富裕層。
富裕層が求める街というのは、富裕性。
否定するつもりはないが、どうもこういった街並みは薄っぺらく見えてしまい、旅人としての僕の感性はピクリとも反応しない。
日本は、絶賛衰退中とはいえ世界標準からするとまだまだ富裕なレベル。
でも日本の街を歩いていても富裕性なんか感じない。
楽しみと面白味にあふれた、中身がぎっしりと詰まった独自世界、という意味では大いに誇りにできる。
ただ、犠牲を払わず守りすぎてしまったことが日本の敗因かもしれない。
またハイウェイだらけで死闘の覚悟をしていたのだが、海沿いの幹線道路は意外にもこんなのどか。
朝はいつもモヤッとしている。
やはり自転車レーンはいつまでも続くわけではなく、しれっと消滅し、段差だらけ縁石だらけで自転車歩行者にはやさしくない道づくり。
それでもサウジアラビアの完全車仕様に比べたらだいぶがんばっている方。
なんか江東区っぽい。
インド人だらけのドバイ。
窓拭きもやっぱりインド人がやってるのかな。
と思っていた矢先、発見。
やっぱインド人。
これは大変な作業。
これはアウト。
夏は作業不可能なんじゃないかな。
仕上がりは何点ぐらいでしょうかね。
浅草でも見たような気がするオブジェ。
1990年頃までは砂の更地でしかなかったドバイ。
ドバイの産油量はUAE全体の4%にすぎず、資源の恩恵というよりは資源がないからこそ異常な発展を遂げた。
巨大な港と空港を建設することでヒト・モノの流れをおさえ、タックスヘイブンと金融業によってカネの流れをおさえ、そして観光化によって知名度を得た。
現在ドバイ経済の石油依存度は1%。
たとえ文化を犠牲にしようが、すべてが「国の存続」にチューニングされている。
その的確で巧妙な手口はまさにシンガポールとかぶる。
両国ともに、才覚あふれる独裁者のパワープレーあってこそ。
超短期戦の成功には多くの犠牲を払ってきたことだろう。
そのドバイの象徴、ブルジュ・ハリファ(828m)。
世界一高い人工物。
建設当初はブルジュ・ドバイという名称だったが、リーマンショックの波を受けて負債を抱えこみ行き詰まったドバイは、アブダビに援助を求めて持ち直した。
これにより、名称はアブダビ首長にちなんでブルジュ・ハリファに変更された。
太陽光の反射が周囲の薄い雲の中で乱反射している。
周囲は公園になっていて間近で見れるはずなのだが、この日は大晦日のためか規制。
少し離れたところからしか見れない。
また別の宿に。
安宿はどこも大差なく、どこも極狭。
自転車は、パッキングしない限り建物内に持ち込むことは禁止だと言われた。
禁止が多い国だな。
e-Bikeもよく見かける。
スクーターベースの電動バイクもよく普及している。
もう定義や名称がどうなっているのか、何と呼べばいいのかよくわからないが。
でもとにかく、二輪を電動化するととても静か。
車は、EVであれハイブリッドであれ、内部がいくら静かでもタイヤがアスファルトと摩擦する音だけでそこそこうるさい。
それならもうムリしてEV化しなくてもハイブリッドでいいんじゃないかと最近は思っている。
夜、ニューイヤーショーを見にブルジュ・ハリファへ。
日中にドバイを去るつもりだったのだが、せっかくなので見に行くことにした。
日本製メトロで行く。
女性&子供専用車両。
男性がこの車両に乗ると罰せられるらしい。
あと車内では水も含めて飲食禁止、居眠りも禁止、違反したら罰せられるらしい。
車内はほぼインド人。
皆ブルジュ・ハリファへ向かうようで混雑。
ブルジュ・ハリファの駅に着くと、すごい人。
メトロの駅はブルジュ・ハリファの北側にあり、イルミネーションなどのショーは南側から見れるようなので向かってみた。
しかし、どこもかしこもバリケードで封鎖され、警官に追い返されてしまう。
あちこち探ってみたが、どこもダメ。
どうやら、ブルジュ・ハリファの半径数百mは完全封鎖され、特権階級しか立ち入れないようになっているようだ。
僕のような無知な初心者はもちろんだが、この大量のインド人たちも知らずにここまで来て、追い返され、グルグル回されている。
どうすりゃいいのかと彷徨っていたら、不意にビルの隙間からブルジュ・ハリファが見え、ここだけ歩行者天国になっている。
なるほど、下々の衆はバリケードの外側のこの一角に集めて、この隙間から見とけや貧民ども、ということか。
しかしインド人すごいな。
ここもうインドでいいだろ。
0:00。
明けましておめでとうございます。
以上、バリケードの「外側」の「裏側」からの眺め。
上級民たちは「内側」の「表側」でこんな感じでショーを楽しんでいたらしい↓
解散。
一斉にメトロの駅へ向かう。
道路は規制されているので、この群衆全員が電車で帰途する。
ふだんは0時で終電だが、元日だけは夜通し運行。
警官たちがバリケードで道を規制する。
途中から「男レーン」と「女子供レーン」とで分岐。
「女子供レーン」は最短でスムーズに駅へ向かう。
「男レーン」はものすごいまわり道をさせられる。
ワガー国境の時とまったく同じだ。
しかしここにいるインド人は上位カースト、平均的なインド人よりずっと大人しくお行儀良く、民度高め。
それでもインド人というのは男同士で肌が触れても全然気にしないようで、限界まで詰めて密着してくるので、一刻も早くここから逃れたかった。
駅構内も大混雑。
車内は東京の満員電車並み。
久しぶりだな、こういうの。
やはり車内はインド人インド人インド人。
いつの日か、ここがインドの飛び地として独立することになっても僕は驚かない。
27800km (Total 164494km)