ポルトベリョ→マナウス (Brazil)
ポルトベリョ。
リオブランコよりもはるかに大きい、そこそこの都市。
先日会うことのできなかったWSホストから、ポルトベリョのホストを紹介してもらい、会うこととなった。
彼、フェルナンドは街のはずれにある大学で働いており、「ポルトベリョに行く前に大学に寄ってくれ、そこからウチまで一緒に行こう」というメッセージがきた。
「大学はどこにあるの?」と聞くと、やはりこの地方の人は場所を正確に伝える文化がないのか、「途中にあるから」ぐらいのことしか教えてくれず、こちらで推測して突き止めなければならなかった。
ただでさえ僕は「3つ目の信号を右に」みたいな言葉による説明が嫌いで、拒絶反応を起こしがちである。
Google Mapsの共有ボタンで送ってくれれば一発なんだけどな。
僕はいまだSIMがないが、大学敷地内でWi-Fiが飛んでるから連絡取れる。
しかしこの日フェルナンドはスマホを家に置いてきて、連絡取れず。
大学の入口の門番の人に伝言をお願いして、無事会うことができた。
彼の家まで17km。
雨の日も風の日も欠かさず毎日、往復34kmを自転車通勤しているそうだ。
彼はベーシックな英語を話せる。
今回のブラジル再訪で初の英語話者。
とりわけ言語的障壁が大きいこの地で、ちょっとでも英語を話せる人との出会いはこの上なく大きな救いだ。
途中で立ち寄った店でアサイーをごちそうになった。
なんとぜいたくな、プールサイドキャンプ。
Wi-Fiあり、電源あり、扇風機あり。
雨も当たらない。
広々としてなんとも快適。
久々の米。
ペルーからずっと、ろくな米が売っておらず、パスタとインスタントラーメンでやりすごしていた。
ここまで来てようやく、米らしい米を発見。
やっぱ米は最高だね。
フェルナンドも他の人たちも、フレンドリーにウェルカムしてくれる。
皆、「いい季節に来たね」と言う。
いい季節!?
今はちょくちょく雨が降って気温が下がるし風もあるからすごしやすい、らしい。
乾季の7~8月がベストシーズンかと思いきや、その時期は日照りが続いて風もなく、日中も深夜もずっと暑いままの地獄、らしい。
南半球は7~8月が冬という認識でいたのだが、フェルナンドは「もうじき恐ろしい夏がやって来る」なんて言うからいろいろ感覚がバグってしまう。
ここから、アマゾン最大の街マナウスまで900kmほど。
陸路で走るつもりだったのだが、ポルトベリョから船で4日で行けるということで、船旅に決めた。
理由は、まず歯の問題。
マナウスには、日本語が通じる日系の歯医者がある。
取れてしまった前歯もそうだが、実はだいぶ前から奥歯が痛み、だましだまし旅を続けていたのが、もう限界。
早ければ早いほどいい、治療したい。
それから、道路の問題。
大都市マナウスにつながる道だから舗装されているとは思うのだが、雨季である今はドロドロで車でも行くのが大変だという。
一部通行止めになっているという噂も聞いたが、確認はできていない。
翌日。
フェルナンドがチケット売り場まで連れて行ってくれた。
川の近くの魚市場。
アサイー。
チケット売り場。
450レアル(11762円)。
自転車は無料。
三食付き。
ハンモックが必要ということで、近くの店で購入。
ハンモック45レアル(1176円)、ロープ8レアル(209円)。
出港場所も下見に。
チケット売り場から7kmほど北。
マデリア川。
これは、自分一人じゃたどり着けなかったかも。
出港は翌日だが、船はすでにスタンバイしている。
旅客船でもあり、貨物船でもある。
1階が貨物となっており、大量の物資を積み込んでいる。
貨物の方がメインなのか、場所も何もかも、乗客にわかりやすいようにはなっていない。
世界でもトップクラスに説明がヘタクソな人たち、雑な人たち、不親切な人たち、それも徹底してポルトガル語オンリー。
ちゃんと教えてくれる人がいなかったら、これは相当に難易度高い。
そもそもフェルナンドと出会ってなかったらこんな船の存在すら知らず、陸路で走っていただろう。
家に戻る。
この日は祝日で、外のレストランで魚を焼いており、ごちそうになった。
肉厚の白身魚、おいしいけど鋭い小骨が口の中で刺さりまくる。
翌日。
出港は12時だが、ハンモックの場所取りが大事だから7時に着くようにしろと言われており、ほぼ日の出と同時に出発。
川は視界ゼロ。
言われた通り7時に到着。
まだ物資の積み込みをやっている。
荷物を安全に保管できる場所はない。
最低限の物だけ携帯して、あとはせめてもの防御としてカバーをかけておく。
乗客は2階のわずかなスペースに。
すでに先客がいる。
見たところ電源は2ヶ所。
延長コードで引っ張って届くポジションを陣取れた。
みるみる乗客が増える。
想像以上に密。
やっぱ早めに来といて正解だったな。
個室もあるようで全貌は把握できないが、乗客はざっと30人ぐらいだろうか。
僕以外は全員ブラジル人。
当然、全員分の電源はない。
何人かが僕の延長コードを使わせてくれと言ってきて、皆でシェア。
ちょっとだけいいことしたような気分。
昼頃になると天気もすっきり。
前日の下見も出発当日も、雨が降らなかったというだけでもすごくラッキー。
12時発ということは1時間は遅延して13時発ぐらいかなと思っていたのだが、実際は15時前ぐらいになってようやく出港。
8時間近くも、動かない船でただ無為に時間をすごした。
初めてのマイハンモック、気持ちいいー。
大河をゆったりと進む船の微細な振動と、ハンモックをやさしく揺らす風が、絶大な催眠効果をもたらし、アホみたいによく眠れる、、、
ハンモックというのは実によくできている。
起きている時でも眠っている時でも、尻や腰や背中を痛めることなく身体をやさしく包みこんでくれて、枕もいらない。
長時間の船旅でも、ずっといられる。
ハンモックはアマゾン起源だそうだ。
この土地と気候に適した合理的なつくりになっている。
トイレ・シャワーは1室のみ。
水は川からダイレクトだろうか、茶色い。
三食付き。
しかし、いつ、どこで、といった説明はない。
持って来てくれるのか、それとも自分からそういった場所に出向くのか。
人に聞いたところでどうせポルトガル語でベラベラしゃべられるだけだろうし、とりあえずは様子を伺うしかない。
18時前頃、乗客のおばちゃんがジェスチャーで「食事だよ」と教えてくれた。
おお、こんな親切な人もいるんだ。
1階に食堂があるらしい。
ほとんどの乗客はもう食べ終えていたようだ。
肉などの主だった具はすでに食べ尽くされ、残りカスのような具だけの、ほぼ液体だけの夕食となった。
翌朝。
7時半頃に食堂に行ってみると、朝食はすでに食い尽くされていた。
お金を払ってるんだから皆平等にサービスを受けられると思ったら大間違い。
自分はどこでも生きていけると過信していたが、こういう状況下ではサバイバル能力が著しく低下する、慎み深い僕。
ただ幸い、コーヒーだけは残っていた。
朝のコーヒーはいい、空腹を紛らわすためにも、5杯ぐらい飲んだ。
川沿いに道路はないが、あちこちに集落が点在しており、人々の生活がある。
ハンモックも心地良いが、ずっと外を眺めているのもいい。
昼。
一部の乗客に「こいつ何もわかってねえぞ」と気づかれたのか、食事の時間になると声をかけられるようになった。
親切な人もいるんだな。
ありがとう、でももうわかってきたから大丈夫。
おお、初めてまともなメシにありつけた。
サブのスマホに動画をたくさん入れており、本もたくさん読める。
長い船旅だが、オフラインでも退屈することはない。
大きな街が出現。
地図を見た限り、ここも他の街と道路でつながっていない。
水路だけで存立している街。
この周辺は電波があるのか、乗客たちが一斉に電話しだした。
時々小舟が近づいてきて、フルーツやチーズなどを売っている。
こんな商法もあるんだな。
とうとうアマゾン川へ合流、マナウスまであと少し。
GPSがなかったら自分がどこにいるかなんてわからないし、広すぎて川なのか湖なのか海なのかもわからないぐらい。
レヴィ=ストロース(1908-2009)が旅したアマゾン。
1960年代、西欧視点からの進歩史観という時間軸で攻めたサルトルを、未開地の親族構造という空間軸で論破したレヴィ=ストロース。
これを機に時代の流行は実存から構造へとシフトしたが、もちろんレヴィ=ストロースは歴史を棄却して構造だけを採択することなどは意図してなかった。
レヴィ=ストロース的「意味」とは、未知の記号を既知の記号に置き換える循環作業。
最終的な「意味」に到達することはない。
新石器時代から変わらぬ生活をしているという未開人に会ってみたい。
かれらは本当に無時間の中で生きているのだろうか。
でも自転車で行けるような場所には住んでなさそうだな。
深夜3時、マナウス港に到着。
ポルトベリョから60時間。
こんな時間に到着されても、暗いし眠いし、起きれない。
この時点で下船できたのだろうけど、もう一眠りして、日が昇ってからゆっくり支度して、7時ぐらいに下船した。
Manaus, Brazil
15702km (Total 152396km)