プンタアレナス→サンセバスチャン (Chile)
南米大陸最南端の街、プンタアレナス。
南米最南端といえばウシュアイアが有名だが、あれは大陸から切り離されたフエゴ島にあり、大陸としての最南端都市はここになる。
人口なんと13万人。
1914年にパナマ運河が開通するまではマゼラン海峡が太平洋と大西洋を結ぶ重要な航路となっており、その寄港地として栄えた。
現在は羊毛、羊肉、石油採掘などが主産業。
街中に入ると建物があるため風が和らぎ暴風地帯であることを忘れさせるが、それにしてもよくもまあこんな過酷な僻地にこんな都市が維持されているものだと感心する。
どうせならマクドナルドかバーガーキングでも出店してほしいものだが、あいにくプエルトモント以南のパタゴニアにはいずれも存在しない。
もうずっと自炊続き、たまには外食でもしてみたいものだ。
ホステル兼キャンプ場でキャンプ。
7000ペソ(1067円)。
前日に風で破れたテントをチェック。
これはアカン。
大きな裂け目が2ヶ所、他にも小さな穴や傷が無数に。
暴風下で無理にテント設置するもんじゃないな。
とりあえずはガムテープで応急処置。
この辺もよく雨が降るが、ぱらつく程度なので大丈夫かな。
ウシュアイアまであと少し、こらえてほしい。
ここは、キッチンやバスルームなどホステルの設備を使わせてもらえるが、リビングはホステル宿泊者のみでキャンパーは利用禁止。
こんな差別を受けるのは初めてだ。
しかもチェックイン時にはそんな説明はされず、後になって注意された。
電源が必要だと言ったら、外にあるものを使えと言われた。
なので充電やPC作業等は外で。
その外にある電源もたまたまそこにあるというだけで、キャンパー用に整備されたものではなく、使いやすいように配慮されたものでもない。
一応ソファがあるが、埃まみれで汚すぎ、自分で拭くハメに。
どうしてネコって、ラップトップを開くと乗っかってくるんでしょうね?
左腕が動かせない。
こういう時に限って、雨。
さすがに雨に打たれながら電子機器は使えない。
充電もろくにできぬまま、ブログの更新もできぬまま、テントに避難。
2泊するつもりだったが、ここはダメだ。
電源が整備されていない宿泊施設に金を払って泊まる価値はない。
かといって、この街には他にキャンプ場はない。
翌日に街歩きでもするつもりだったが、もういいやという気分になってしまった。
この先は、フェリーでマゼラン海峡を越えてフエゴ島のポルベニールという街に向かう。
プンタアレナスは1泊だけして、街歩きも何もせず翌朝のフェリーで出ることにした。
港へ行く途中、街の写真を1枚だけ。
港は街の中心から6kmほど。
9時出港。
7400ペソ(1129円)。
大型のカーフェリー。
にぎわってる。
マゼラン海峡。
スペインとポルトガルが世界を二分し、熾烈な陣取り合戦を繰り広げた大航海時代。
ポルトガル人のマゼランはスペインに寝返り、スペインの艦隊で世界一周の船出へ。
コロンブスがアメリカ大陸に到達してから30年、ヨーロッパ人にとってこの大陸が新大陸であるなら、その先の海も未知なる新たな大洋であった。
マゼランはこの海峡を通って太平洋へと抜けた。
「太平洋」も「パタゴニア」も、マゼランによる命名。
翌年、マゼランはフィリピンでセブ王に殺された。
自身は道半ばで命を落としたが部下が航海を続行し、3年の歳月をかけてスペインに帰還、史上初の世界一周を遂げた。
1522年、ちょうど500年前の話である。
出港時は270名で編成された遠征隊のうち、生還者はわずか18名。
この航海のエピソードを読む限り、マゼランは人望と統率力に欠けていたのか、マゼラン殺害を企てる者や逃亡者もいたようだ。
現代における世界一周という言葉とは重みが違いすぎる、想像を絶する命がけの旅であったろう。
マゼラン星雲、マゼランペンギンなどからも、彼の名にはなじみがある。
海水面だけが風によって素早く流れ、大きな波は立たない。
こんな暴風でもフェリーは揺れることもなく平穏な航行。
南米大陸とフエゴ島は最も近いところでわずか4kmほどだが、このフェリールートはやや離れた地点を結んでいる。
2時間ほどで、フエゴ島のポルベニールに到着。
「フエゴ島」も、マゼランによる命名。
島といっても、狭いマゼラン海峡によって分断されているだけで、大陸の続きのような感じ。
ヤーガン族という世界最南端の民族が、この寒冷な暴風地で半裸で狩猟採集生活を営んでいたそうだ。
2022年2月、最後のヤーガン語話者が死去。
またひとつ言語が地球上から消滅した。
仮に自分が最後の日本語話者だとして、死ぬ間際に何を思うか、イメージしてみる。
言語は世界そのもの。
これぐらいのこじんまりした街の方が落ち着く。
この街にキャンプ場はない。
久々にBooking.comを使ってホステル泊。
ドミトリー13500ペソ(2051円)。
他に客はおらず独占。
自転車も室内に入れさせてもらった。
ここはアタリだ。
ようやくのんびりくつろげる。
プンタアレナスで窮屈な思いをしながら連泊しなくて正解だった。
やはりチリの建物は歩くと床がギシギシときしむけれど。
そして恐ろしい風の音がずっと鳴りやまないけれど。
未舗装。
せっかくの追い風も未舗装では効力半減。
それでもアルゼンチンの未舗装に比べると大きな石も少なく、まあ進める。
その代わり、と言ったら変だが時々通る車がガッツリ砂埃を食らわせてくる。
アップダウンもけっこうあり、やはりペースダウン。
午後になると追い風パワーアップ。
未舗装などものともせずガンガン押される。
ここでは、木は自然には生えない。
以前ここに住んでいた人が植えたであろう一本の防風林。
建物は朽ちたが、木は今も容赦ない偏西風を耐え忍んで生きている。
この日もまっとうなキャンプは無理。
なんらかの人工物を探し求めていると、突如なんとも立派な小屋が。
奥に古い小屋、手前にできて間もない新しい小屋。
完全防風。
まだ新しいが、すでに壁にはサイクリストたちの落書きが。
こりゃたまげた、なんとロフト付き。
ここで寝てください、ってことか。
なんと親切。
ロフトの床はきれい。
ふだんのテントよりも広々と使える。
僕のテントが壊れたことを知っているのですか、ってほどうまくできすぎている。
誰がこれを建てたのか?
国か、州か、それとも民間企業か。
おそらく州、かな。
トイレも付いている。
まだ新しいがすでに汚れきっている、これはしゃあない。
バキュームカーが汲み取りに来るのだろう。
やはり税金によって建てられ、ある程度のメンテナンスもされていると思われる。
外からは恐ろしい風の音が鳴りやまないが、こんなにも安全に安心して一夜をすごせるとは、なんともありがたい。
ここで未舗装が終了し舗装路が復活するのだが、別の分岐路があって、15kmほど進んだところにペンギンのコロニーがあるらしい。
未舗装だが往復30kmでペンギンが見れるのなら、と行ってみることにした。
そろそろ目的地というところで、何か建築物が見えてきた。
嫌な予感。
ああ、こういうやつか...
自然の中で自然にペンギンを見れるイメージをしていたのだが。
ガチガチに管理されているやつか。
しかもまた、入場料12000ペソ(1825円)。
地元民は4000ペソ(608円)。
ペンギン見るだけでんな金払えるかっ。
グアナコはタダで見れるというのに。
これだったらわざわざこんなところまで来なくても動物園でいいだろ。
しかも、オープンは11時。
僕が到着したのは7時。
冷たい暴風が吹き荒れる中、4時間も待てるわけなかろう。
分岐路のところでこういう情報を書いといてくれれば行かずにすんだのに。
結局、何もせずただムダに未舗装を30km走っただけという徒労に終わった。
行きはやや追い風でやや下りだったので楽だったが、帰りはやや向かい風でやや登りでムダに疲れた。
またあの小屋に戻り、ひと休憩してから出発。
ここからウシュアイアまでは全舗装、のはず。
朝っぱらからムダな未舗装30kmでダルくなってしまったが、ここからまた追い風をいただき楽させてもらう。
San Sebastián, Argentina
11183km (Total 147877km)