アスンシオン→イグアス (Paraguay)

アスンシオンから東へ。

やはりブラジルに近づくにつれてアップダウン。

ズドーンと落ちてグアーっと上がる、この小刻みな繰り返しが一番ダルい。

少し前から、ケツに違和感があった。
見てみると、サドルのノーズボルト(テンション調整ボルト)が折れていた。
今回は、サドルを新調してまだ4000kmほどしか走ってないのに。
それほどテンションを上げすぎていたとも思えない。
純正のボルトは強度があまりないのか、調べてみると同じ症例がけっこう出てくる。

金物屋でネジを買ってきて代用。

純正とまったく同じ形状のネジは売ってない。
同じ径8mmで長さ6cmのネジを挿し込み、ナットでうまく固定する。

中間のナットを締め込んでいけば革のテンションを張れる構造になっているのだが、適正なテンションというのがイマイチよくわからない。
とりあえず感覚で張ってみて、走りながら様子を見ていくしかない。

パラグアイには、まだ他にも日本人宿がある。
かねてから旅人の間で噂の「民宿小林」に行ってみる。

世界各地にある日本人宿の多くは大々的に宣伝しているわけではなく、目印もなければ看板が出ているわけでもない。
民宿小林は、ハイウェイからこの未舗装の路地を入っていく。

GPSのない時代だったらこんなところにたどり着けていただろうか。

数日前からメールしていたのだが、いっこうに返信がなかった。
泊まれるのかどうか確証もないまま来てみると、宿のお母さんが出てきて迎えてくれた。
僕が来ることは認識していたようだ。

かなりの部屋数があるようで全貌を把握できないが、最安のドミトリーは1泊50000グアラニー(991円)。

客は僕一人だけ。

もともと冬季は混まないらしいが、やはりコロナの影響で、旅行者の客は今年入ってから僕が3人目だそうだ。
あとは日本大使館の職員やJICA、それから仕事の関係で日本から来る人などが時々宿泊するそうだ。

なんといっても楽しみは食事。
朝夕それぞれ別料金。
ただ泊まるだけなら他でもいい、とにかく日本食への渇望に駆られている。

初日の夕食は、味はもちろんとてもおいしかったのだが、量が一人前だったので、何杯もおかわりをお願いした。

翌日から、ドカーンと出されるようになった。

納豆!!!











カレーライス!!!

初日に、嫌いなものはないかと聞かれて、「辛いものだけはどうしてもダメで、あとはなんでも好きです」と答えた。
カレーはちゃんと甘口だった。

ボリュームも、こちらのキャパシティに応じてくれる。
決して「足りない」とは言わせようとしないお母さん。
ただし、僕は割増料金。
それでも、これだけの量の日本食をたらふく食べさせてもらえる料金とは思えない安さ。
パラグアイも物価上昇中だというのに、採算とれてるのか心配になってしまう。

朝食。

餃子にラーメンにチャーハン!!!

朝食。

うどんにサーモンに豆腐!!!

天ぷらそばにいなり寿司に魚のフライ!!!

すき焼き!!!

やっぱり祖国のメシには泣かされる。
毎日ひとりで「うめー!!!」と唸り続けている。

民宿小林は街から離れており、周囲に店などはまったくない。
なのでふだんはあまり出歩かず、ひとりで宿にこもっている。
ただただメシを食らうマシーンと化している。

パラグアイも日本人移民が多く、ここはイグアス居住区(Colonia Yguazú)と呼ばれている。
民宿小林から13kmほど東に、居住区の中心となる小さな街がある。
小林さんのご家族が買い出しに行く時は一緒に車に乗せてもらうこともできる。
僕は運動がてら、自転車で行く。

ピンクのカーペット。

街自体は小さいが、居住区全体では800人もの日本人がいるという。
ブラジルで見た日系人は、混血しながら世代が変わり、日本語を話せる人も減り、ブラジル人として同化していた。
ここでは混血もあまり進まず、日本語を話す日本人として生きている。
歩いていると「こんにちは」と自然にあいさつしてくれる。

かつてパラグアイは、南米で最も先進的な国のひとつであった。
しかし19世紀後半、パラグアイはブラジル-アルゼンチン-ウルグアイの三国同盟と戦争になる。
三対一のムチャな戦いで大敗、国土の4分の1を割譲され、人口は50万人から20万人へと激減した。
大ダメージも癒えぬまま、20世紀にはボリビアとも戦争になるなど、国は疲弊し、深刻な人口不足と労働力不足に陥っていた。
その頃、隣国ブラジルではナショナリズムが高まって排日運動が起きたことで、ブラジルにいた日本人がパラグアイへと移住した他、不況で職不足だった日本からも移民が迎えられた。
日本人移民は原生林を伐採し、一から開拓して、その後の農業発展の礎を築いた。
その功績は高い評価を得て、現在も多くの日本人が農業に従事している。

スーパーでは、日本の食材が豊富。

店員はパラグアイ人だが客は日本人が多く、あちこちから日本語が聞こえてくる。

ここは大豆の産地であり、納豆や豆腐はこの土地でつくられている。

他国のアジアンマーケットとはレベルが違う。

米はもちろん、もち米も売ってる。

百均的なアイテムも。

カレー、37000グアラニー(733円)。

高いけど、ガマンできず買ってしまった。
なにやら中国語で書いてあるけど、甘口で間違いないだろう。

どら焼き、21000グアラニー(416円)。

おいしい、でも甘さがない。

お寺もある。

中を見させてもらった。

ラパチョが桜そのものじゃないか。

ここは本当にパラグアイなのだろうか。

旅人としては、こんなところで日本文化を堪能できてけっこうなこと。
でも、経済的弱者であるパラグアイで経済的強者の日本人があまり強い影響力を持ってしまうこと、同種間結婚による血縁関係の濃化など、この土地の今後についての懸念が頭をかすめたりもする。

民宿小林の屋上からの眺め。

周囲に街灯がないので、星空鑑賞にもってこい。
宿のお母さんは意外と星に詳しく、いろいろ教えてもらった。

未舗装の道、どこまで続いているのかわからないが散歩してみる。







1週間滞在してしまった。

最後の朝食。

プリン!!!

お弁当に、と特大おにぎりまで持たせてくれた。

なんとも不思議な魔力のある宿だった。
この先、こんなおいしい日本食を格安で腹一杯食べさせてもらうことはそうそうないだろう。
たっぷりチャージできたし、これ以上長居してもダラけるだけだろうから、出発。



Foz do Iguaçu, Brazil

3804km (Total 140498km)



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